オンライン礼拝を始める時によくある失敗:移行して失ってしまうものは何か? Bob Loganからの新しいブログ投稿
Common mistakes in taking church online: What gets lost in translation?
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オンライン礼拝を始める時によくある失敗:移行して失ってしまうものは何か?
Bob Loganからの新しいブログ投稿
*ボブローガン牧師
元フラー神学大学院教授、教会成長、教会増殖、リーダー開発の権威者。長年JCGIネットワークのリソースパーソンとして、日本の牧師を励ます働きに携わる。1995年、山形県で始められた教会増殖ネットワークのコーチとして日本の教会に仕えて下さった。現在は、北米を拠点とし、コーチング、リーダー開発、コンサルタントの働きに従事しておられる。
教会は一時的な対応としてオンラインでの働きに移行しています。礼拝のライブ動画配信によって、大人数での礼拝体験が、各家庭のリビングルームに届けられています。 しかし、あらゆるミニストリーと同様に、文脈に適合させることは不可欠です。 「その場にいなければ分からないことがある」ことはご存知だと思います。 教会をオンラインにすると、失ってしまうものが少なくありません。会衆のことを意識して考えてみましょう。オンラインでつながる時、その人たちはどのような環境にいるでしょうか?
大人数の集まりではうまくいっても、オンラインでは必ずしもうまくいかないこと
長いメッセージがその一つです。確かに公の礼拝では長くても、うまくやれば聴衆を引きつける力があるかもしれません。しかし、動画では長いメッセージは効果的とはいえません。離れた場所で観ている人々は集中しつづけることができないからです。正直に言わなければなりませんが、どんな動画プレゼンテーションを見ても、私は最初の3〜4分間しか集中できず、他のことを考え始めてしまいます。そして、カーソルを動かして動画の長さを確認してしまいます。メールが来届いていないか気になったり、スマートフォンに届くニュース速報に目が移ったりして、気が散ってしまうのです。
オンラインに移行する際は礼拝プログラムを再考しましょう
オンライン礼拝を見ている人々を考慮しながら、一体何を達成しようとしているのかを考えてみましょう。 会堂で行う本格的な礼拝プログラムで機能しているからと言って、少人数の集まりで同じようにいくわけではありません。同じ原則が教会をオンラインに移行する際にも当てはまります。オンラインに移行しようとするなら、次の3つの点を考慮してください。
1.集中力の持続時間に注意
一方向的に流される動画を集中して見続けるのに困難を覚えるのは、私だけではないでしょう。私たちは遊んでいる時さえ、いわゆる「ながら族」になってしまうような、注意力散漫になりやすい社会に私たちは生きています。テレビを見ながらゲームをしたり、メールを送ったり、SNSをチェックしたりする人はよくいます。テレビを見ながら、同時に携帯で別の動画を見ている人さえいるのです。
人と直接会っている時には、礼儀正しく振る舞い、相手に注目しようという、意識が働きますが、オンラインの教会では、このような意識が失われがちです。教会をオンラインにするということは、私たちのやり方を変えなければならない、ということを意味します。
妨げを取り除き、視聴者が希望のメッセージを確実に受け取るためには、私たちは戦略的、かつ創造的でなければなりません。視聴者の集中力を維持するために役立ついくつかのアイデアを紹介します。
- 説教を短いクリップに分割する
- 見慣れた背景とは、異なる背景にする
- 聖書箇所や引用文を画面に表示する
2.親しみやすく、リアルなものにする。
聴衆がそこにいないと、交わったり、雰囲気を感じ取って応答したりすることができません。お笑い番組の収録で、スタジオに観客を招き入れて収録がなされるのには、理由があるのです。説教の中で用いるユーモアたっぷりの話しやジョークに対して反応してくれる人が誰もいないなら、牧師はいったいどうすれば良いのでしょう?
危機的状況にあっては、思いやりと共感が、魂にとっての慰めとなります。録画された説教を通してそのような思いやりを伝えることは難しいかもしれません。多くの牧師は希望、愛、あわれみに関したみことばから説教を語っています。それはすばらしいことです。しかし、そこでやめてしまわないでください。
オンラインの教会をより親しみあるつながりとして感じてもらうために、他に何ができるかを考えてみてください。関係を深めるような雰囲気をオンラインで構築するために役立つアイデアをいくつか紹介します。
- 講義調ではなく、日常会話の中で語りかけるような話し方をする。話しを聞いている人のリビングルームで、どのように話しかけるかを考えてみる。
- 自分の状態についてオープンに話す。それは肯定的に受け入れられるだけではなく、聞いている人たちもオープンになって良いのだと思ってもらえる。
- 講壇ではなく、アームチェアに座って、または庭から話す。
- 特別ゲストの、証しの動画などを追加する
3.具体的な何かをしてもらう
これは集中力の持続時間と密接に関連していますが、それよりもはるかに大きな意味があります。行動することは、自分のものにすることでもあるのです。つながったり、交流したり、応答したりする機会を提供することは、教えを深める手助けになるのです。そればかりか、何らかの行動を起こすことは、人々がトラウマから回復するために役立ちます。
オンラインの教会をより一方通行ではなく、相互方向のものにする方法を考え、各々が参加し、つながりを深めるためにできることは何でもする必要があるのです。手始めに取り組むことのできるアイデアをいくつか紹介します。
- 事前に礼拝を録画する場合は、途中で動画を一時停止して、複数で視聴している場合はディスカッションしたり、振り返りや祈りあう時間を持つ機会を、もし一人なら、FaceTime、Skype、またはZoomなどを介してそのような機会を動画の途中に何度か設けます。
- ライブ配信の場合、Zoomには「ブレークアウトルーム」の機能があるので、一時停止の操作などをせずに祈りや分かち合いのために参加者を小グループに分ける機能があります。
- 参加者が一緒に行うよう導くことのできる体験や実践を取り入れてみる。
- 視聴者に近所の高齢者を助ける、誰かに励ましの電話をする、などの行動を促す。
目的を忘れない
これらすべての対応策は、届こうとしている人に、豊かな体験をもたらすことができるのです。この「届く」がキーワードです。教会がオンラインに移行することの利点のひとつは、「届く」範囲が拡大する可能性が高いことです。
迫害によって散らされた使徒時代の教会と同じように、感染予防のために、教会をオンラインに移行することによって、散らされた教会になっているとも言えます。大宣教命令を遂行する、またとない機会です。
感謝します。文脈は異なりますが、イザヤ52:7と同じ思いにされます。
「良い知らせを伝える者の足は
山々の上にあって、なんと美しいことよ。
平和を告げ知らせ、
幸いな良い知らせを伝え、
救いを告げ知らせ、
『あなたの神が王となる。』
とシオンに言う者の足は」
ボブ・ローガンのBlogから引用;